2021.08.16
ワールドゲームズ秋田大会 20周年
今から20年前、2001年8月16日(木)~26日(日)の11日間、「第6回ワールドゲームズ」がアジアで初めて、日本の秋田県で開催されました。ワールドゲームズは、1989年から国際オリンピック委員会(IOC)が後援しており、開会式にはケバン・ゴスパーIOC副会長(当時、現名誉委員)が出席。93の国と地域から4,054名の選手・役員が参加し、22公式競技・5公開競技のオリンピック非採用種目が実施されました。観客は30万人を記録し、ホスト放送局NHKは11日間計20時間放送し、映像は世界133カ国に配信されました。また、21の海外航空会社でビデオ上映され、11ヵ国のメディアが実際に秋田に取材に訪れました。
ワールドゲームズは、肥大化したオリンピックの改革を目指し、既存の施設で実施できない種目は採用されないため開催経費は22億円で済み、国威発揚を避け、国を超えた選手間交流を促進するため開会式の選手・役員入場は種目別に行われ、宿舎も国別ではなく種目別に既存のホテルが割り振られました。新しい国際競技大会の在り方として注目を集め、開催地も地方都市秋田で開催したことで大会組織委員会は、「毎日スポーツ人文化賞」を受賞しました。その後ワールドゲームズは、2016年にIOCと2回目の覚書を締結し、東京2020オリンピックの追加競技種目は全て国際ワールドゲームズ協会(IWGA)加盟競技の種目から選ばれています。
第6回ワールドゲームズを日本に招致するに至った経緯は、1994年10月にモナコで開催されたIWGA理事会・総会に日本ワールドゲームズ協会(JWGA)師岡文男理事が出席し、ロン・フローリックIWGA会長(当時、現終身名誉会長)にJWGA坪内嘉夫会長(当時)の親書を手渡した際、ワールドゲームズの日本での開催を打診されたことがきっかけでした。その後、ミネソタ州立大学秋田校諸星裕元学長の協力を得て、秋田魁新報社林善次郎社長(当時)を中心に民間企業・民間人で招致を計画、秋田県が開催地に立候補し、1996年10月のIWGA総会で開催地に選ばれました。
大会の模様は、下記のビデオ(23分)をご覧ください。
国際担当執行理事 師岡文男